[1-10-109-002] とある老いぼれ学者の手記
紙が黄ばんでいたり破れていたり、ずいぶん古いもののようだ。
年代や日付は記されていないが…
・前書き
まず、山のような書類の中から手記を発見して頂いたことに、感謝の意を示そう。
冒険欲旺盛な姿勢と見える。君のような若者が増えることを我は期待するよ。
さて、この話は、近年盛んに研究されている魔導関連とは直接には関係がない。
あるいは、諸君の未来を大きく混乱させてしまう場合も在り得るので
以下のことは、あくまで単なる老いぼれの戯言だという認識のもと
眺めていただいて差し支えないだろう。
・本題
まず本編で申し上げたいのは、屈折した▇▇▇▇▇▇▇▇に関する疑問と見解である。
そもそも▇▇▇▇▇▇▇▇エネルギーというのは、それが直情的であればあるほど
威力が増すという報告が出ている。無論これは事実であろうと我も解釈する。
だが、仮に直情的でない場合、やはりその威力に差は発生すると言えるだろうか。
あるとすれば、どの程度の差になるのか、あるいはその差とは、
発信者と受信者による相対的な距離や状態に措けるものであり、
絶対数値でのエネルギーの差というものは、在り得ないだろうか。
この点については、まだ確固たる答えは得られていない。
(そもそも得る必要性、需要のようなものがないであろう。
云わば、我のフェティシズムを投影した、個人的な調査にすぎないのだが)
現段階では、例えば
被子植物と裸子植物の違いのようなものではないか、という見解がある。
皮に覆われているか否かにすぎず、同じ種には変わりないという乱暴な解釈だ。
もちろんその種にも形状や発芽の違いがあるのだから、
それが上記で触れた「差」であると見なしてもいい。
この場合はエネルギーの差ではなく、むしろ個体差という表記が適切だろうか。
また、こう云った解釈も可能であろう。多少露骨となるが、
世に多い恋歌を参考にさせていただくと
・「愛」「好き」「会いたい」等の単語をふんだんに取り入れた詞
・「乗る予定もない駅のホームにぶらり訪れ、誰かの姿を捜した」
これらは形状は違うが、おそらく意味としては同じものであろうと思われる。
後者が云わば被子に喩えられるものであり、直接表現を避けてはいるが
中身には同じ種、所謂同じだけの▇▇▇▇▇▇▇▇らしきものが含まれている。
我が後者に惹かれてしまうのは、鍵を拵えたりパズル状態にしてまで
保護するような大事なことなのか、と思えてしまう付加価値的な存在、
あるいはパズルを解いた際の達成感のようなもの、
それがおかしなフェティシズムに繋がっているとも言えるが。
無論、パズル状を煩わしいと思う人もいるであろうし、
直接表現を否定する・しないという観点ではないことは、ご留意いただきたい。
本題から逸れたようだ。
以上のことから、我が申し上げたいのは
個々誰しも持つ▇▇▇▇▇▇▇▇上限数値そのものは、実のところ誰しも同量であり、ケースバイケースで吸収量や出力量を変化させているだけではないかという考え。
なお、汚れたり擦れたりという表現に関しても、おそらくはこの「ケース」に含まれる。
その出力量の調整が、冒頭の報告にある「差」というものに当たるのであろうか。
ただしこれもまた我の思いにすぎず、魔学的な後押しは未だないので、
鵜呑みは避けていただきたい。
(正直なところは、自分でも何を言っているかわからなくなってきている)
・後書き
以上の▇▇▇▇▇▇▇▇に関しては、周辺からの弾圧もあり、
思うように研究を進めることができぬまま、気が付けば良い歳になっていた。
おそらく手記が発見される頃には、我の体はこの世にはないだろう。
願わくば輝けし若者が▇▇▇▇▇▇▇▇の存在を発見し、解明へと向かうことを。
クロット=グリアゼラ
本文の一部が、黒く墨のようになって読めない。
断片的に焼かれているようだ。(せんさーど海苔かと思った…
なお、全ての墨は、大体のところ同程度の長さをしており、
その前後には「エネルギー」などの単語が補足されていることから
墨の部分には同義の単語が代入されると考えられるかもしれない。